川野芽生を読む -『Lilith』-

アヴァロンへアーサー王をいくたびも送る風あり千の叙事詩

 「現代短歌」No.86の「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」でこの歌を見つけたときは衝撃だった。この歌に出会っていなかったら、たぶん『Lilith』を手に取るのはもっと先になっていたと思う。

harassとは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで

 「アヴァロンへ〜」の歌に出会う以前から、川野芽生という歌人について知ってはいった。自分も(おそらく大多数の歌人と同じように)掲出歌の人、という印象が強かった。『Lilith』についても、当時から興味を寄せていたものの、神話や伝説に関する基礎教養のなさから手に取るのを躊躇してしまい、「そのうち読む歌集」としてカテゴライズしてしまっていた。

 ただ、今回ようやく歌集について読み通してみて、知識のなさについてはそこまで心配する必要はなかったなと感じた。もちろん、他の歌集と比較して見慣れない単語は多く、かなり辞書頼りの読書になってしまったし、予備知識があったほうがより多彩な読みを歌から引き出せるのだとは思う。しかし、歌意についてざっくり把握するぐらいを一旦の目標とするのであれば、知識についてはそこまでなくても読み通すうえでは困らない印象だった。

朽ちた藤棚も取り壊される

はつなつのひかりの庭に手綱取るごとくに藤を刈り込むひとよ

春は花の磔にして木蓮は天へましろき杯を捧げつ

いつ自分がさうだと気づきましたか、と入国審査のやうに問われつ

 『Lilith』については、糾弾・告発の歌集だと評している人を見かける。自分もそれについて異論はない。しかし、それだけではこの歌集の魅力について、取りこぼすものが多いように思う。

ゆゑ知らぬかなしみに真夜起き出せば居間にて姉がラジオ聴きゐき

窓辺にて日焼けをしない手が剥いてゆく黄桃の皮の夕映え

中庭に冷やす噴水 iPhoneをほほにあてがひ来る修道士

 たとえば、掲出歌のようなゆったりとした日常詠のなかにも良い歌は多い。言及されているのをこれまでに見かけなかったぶん、自分はこちらのほうが印象に残った。当たり前のことだが、被害者は被害者という属性がすべてなのではない。告発や糾弾はその人が生活のなかで行っている膨大なアクションのうちの一部に過ぎず、それ以外はほかの多くのひとと変わらない日常を送っている。掲出したような歌を読んで、そのことを改めて認識させられた。

夕かげは紅茶を注ぐやうに来て角砂糖なるわれのくづるる

人よりも傘はもろきをきりぎりに気流みだるる空に差し出づ

百日紅うごめきやまず こぼれては赤竜として甃に灼けゆく

丘の上に老天使翼ひろげゐてさくら、とひとはそを指さしぬ

怯えやすい小動物に似た街に指で圧すごと日没が来る

 また、このような叙景の歌にも、優れたものは多い。こういう手堅い歌もつくれるところに、川野の歌人としての地力の強さがあらわれているように思う。

無性愛者のひとはやつぱりつめたい、とあなたもいつか言ふな だありや

植物になるならなにに? ばらが好きだけど咲くのは苦しさうだな

ひとりにして、すこしかんがへさせてつて告げそれきりの友人たちよ

 今回歌集を読んで印象に残った連作のひとつに歌集終盤の「植物園」という連作がある。これは、(おそらく)知人に無性愛者であることを明かした前後を描いているのだが、ほかの連作にはない、自嘲を帯びた歌が複数収められており、こういう歌も作るのかと驚いた(旧仮名のせいか岡井や藪内を連想させる)。

 最後に、論から取りこぼしてしまったものの気に入った歌を三首。

裸木を冠となすこの冬も王位を追はるるやうに過ぎゆく

天球儀ほどの重さの頭をかかへ人が死なない日の昼下がり

傷むほどに透度をあげてゆく髪を曳きつつゆけり春の高台