魚村晋太郎を読む -『銀耳』-

 読み終えたときにため息が出た歌集だった。評を書くのも無粋に感じるような澄んだ歌ばかりで、ことし手に取った歌集のなかではトップレベルによかったと思う。

北辺に逐ひやらはれてしづまるかウラニウムの神プルトニウムの神/『ウランと白鳥』

モノレール終着駅を過ぎ昨夜天使を棄てた丘を見下ろす

なにはともあれ今日の若者の会合を日本語の外から急襲するか/『ヴォツェック/海と陸』

身から出た錆を肴に高瀬川髭薄き伯父貴と梯子酒して

何もしないことが復讐となるやうな根深の白い茎をみてゐる/『馴鹿時代今か来向かふ』

雪が降りさうでふらない休日の薄きラヂオにともすFM

もはやいかなるナショナリストも歩まざる林の枝を渡る夕光/『家常茶飯』

先頭車両までを歩めりファシズムが青葉のやうに柔らかき朝

バルコンに降る雨脚の尖だけが肉感的でしかもしづかだ/『ネフスキイ』

窓にゐて五月の雨をみるやうに静かだひとの鬱にふれても

 あとがきを寄せている岡井と5首ずつ掲出。岡井と比べると、茶目っ気がなく寡黙な作中主体が浮かびあがるように思う。小粋というより粋な男性像。

感情を類別しつつ翠鳥の青黴乾酪(ブルーチーズ)を薄皿にとる

どれがわたしの欲望なのか傘立てに並ぶビニールの傘の白い柄

 「感情を類別しつつ」「どれがわたしの欲望なのか」からも、主体について、抑制的な人物であることがが伺える。ただ、大人びている一方、まだ青年期特有のストイシズムを残しているのかなとも思う。

ゆつくりとひとを裏切る 芽キャベツのポトフで遅い昼をすませて

人間の壊れやすさ、と思いつつ炙られた海老の頭をしやぶる

 情+景で構成される手堅いつくりの歌が多い。ただ、どの歌も人間の暗部を細かく掬い上げていて、読んでいて退屈しない。

流麗に悲しむひとの住む都市へ夜もすがら川は砂を運べり

北極で北を失ふのと同じ 話すことなくて微笑んでゐる

 ときおりスケールの大きい歌も現れるが、そういう歌にもうっすらとした暗さが漂っている。

 最後に気に入った歌を二首。

抜歯後の痺れた空にこの冬の鷗はかたい翼をはこぶ

あたたかく紅茶の染みがひろがつてゆくネクタイを締める間に