橋爪志保を読む -『地上絵』-

 歌集の特徴を把握するうえでのとっかかりにするため、最近は、歌集を読んでいる際に感じたことをその都度メモに残すようにしている。『地上絵』を読んだときのメモを見返すと、不健康、不穏、不気味、不器用と不のつく言葉が目立つ。装画はずいぶん可愛らしい歌集だが、なぜそのような印象を受けたのか。自分なりに分析してみる。

ヨドバシの前のみじかいエスカレーターかわいいな 忘れてしまう 

振る腕が痛めばときどきひだりみぎ変えながら聴くライブだったね 

湯たんぽの実演販売中です、と湯たんぽがただおいてあるだけ 

栗だけをほじって食べたあとに残るごはんの色のように笑ってよ 

生理痛をこらえるのにはちょうどいい眺めのネットカフェの天井 

 ひとつには、奔放なカメラワークがあるだろう。『地上絵』は口語でフラットに日常を詠んだ歌が多くを占める。とくに、掲出したような歌は生活にある些細な襞を見逃さない感性がなければ、どれも作れない歌のように思う。

坂道の降りきるまでをつなぐ手でたとえば星も燃やせないこと 

きみの手がつめたいつまりきみの飼う鳥もつめたい星の下だろう 

わたしからきみのこどもがうまれないことも星座のようにうれしい 

 ただ、そのような日常詠のなかに、いきなりこのようなスケールの大きい歌が差し込まれてくる。作中主体を取り巻く生活を映していたカメラが、急にズームアウトして地球や宇宙を映してくるのだ。そして、そうかと思えば、次の歌では再び日常の場面に切り替わったりする。とにかく読み手が振り回されるのである。

パンパカパンは何が開いているんだろう、パカのときに。 朝ちょっとだけ泣く 

今週はきみに誕生日おめでとうを言うのが流行っていてワンダホー 

ここへ来て一緒に濡れてほしいのにあなたは傘をたくさんくれる 

学校をきらいなひとが好きだけど学校に来ないから会えない 

 また、作中主体の情緒の不安定さも要因の一つだろう。『地上絵』には、掲出した1、2首目のようなユーモラスな歌や、3、4首目のような読者の共感を誘う歌もしばしば見られる。こうした歌によって、ちいさなアクセントのある日常が続いていく。

速すぎてみえない換気扇の羽むりやり止めてぎゅっとキスした 

加湿器の横でセックスしたあとに見に行った海 二度うなずいた 

昼間見たちいさな火事を話しつつ眠りの際に指をつないだ 

父さんが忘れていった日時計を母さんは洞になって見ている 

台風の朝にこどもを見失うわたしのこどもかもしれないね 

 一方で、掲出の1〜3首目のようなぎょっとするほど湿度の高い恋愛・性愛を詠んだ歌や、4〜5首目のようなこわい歌がとつぜん差し込まれてくる。日常詠の多さで油断しているせいか、余計にインパクトが強い。このような展開の読めなさも、前述した印象に繋がっているように思う。

こんにちはだけが人生。こんにちは! 泳げるくらい雨降っている 

ビルをつくるひとはやる気があるんだなあ 悲しい時はジャンプしてみる 

明け方にきみが小さくする咳の 狂えばかなしみもなくなるの? 

 さらに、『地上絵』の特徴として、一字空けの歌の多さと、そのなかでの大胆な詩的飛躍が挙げられるだろう。1字空けについて、ちゃんと数えてはいないが、おそらく半分以上のページで最低1回は使われている。そして、その一字空けの歌について、どれも、掲出歌のようにめちゃくちゃな飛躍をしているものが多い。予定調和を避ける、というのは作歌のうえでの基本姿勢であり、そういう意味では常套的な手法と言えるのかもしれないが、橋爪のそれはテクニックで片付けられるレベルを逸している気がする。前後の繋がりについて、読者に理解されることをはなから放棄している印象があるのだ。

 このように、『地上絵』は口語によるフラットな日常詠を中心にしながら、上記のような手法が取り入れられることによって歌集全体に緩急が生まれている。既存の歌人の誰に似ているかと問われても返答に窮するところがあり、平岡直子の奇想性、永井祐の平坦さ、山崎聡子の湿っぽさ、初谷むいのピュアさを足して4で割ったような感じ…だろうか?とにかくごちゃまぜな印象だ。しかし、そのごちゃまぜさが歌集を通じて一貫しているため、逆に統一感が生まれているというおかしなことになっている。わたしがこれまでに読んだなかでも、かなり異質な歌集だったと思う。

 最後に、論のなかでは取りこぼしてしまったものの、気に入っている歌をいくつか引用する。

かみなりのように壊れたブランコがあったはずあの空き地にむかし 

世界から逃げれば世界が増えてゆく自業自得を愛しています 

真っ白な商店街を歩くよう抱かれたままに目をとじるとき 

 

〈これから『地上絵』を読むひとへ〉

この記事では、3つの観点で分析しましたが、一人称の不安定性とか、具体⇔抽象のはげしい往来とか、そのあたりも全体の印象に関わっているのかなあと思いました。読み解きがいのある歌集だと思うので、まだ読まれていない方はぜひお手にとってみてください。