水を飲むのは投函だから物音をおぼえきれないほど聞き取った
どの人生もCMだろう空蝉の背に吸われゆく小さなジングル
車の屋根を歩いて海へ出るような世界の果ての秋の渋滞
ぬいぐるみ自撮りアイコン大量凍結 新目白通りの事故車両
メーターの針はくすぐるだけなのに血を流すなんてみんなの馬鹿
だけど真昼に黒い川いくつも渡るなつかしさ気はたしかだろうか
二階から呼ぶ声がする友だちが読み終えた本を落としてくれる
遊んでよ大きな駅が見えるから安心して開けられる窓
目が光る着ぐるみを着て踊ったらみんなの思い出に残るかな
とれたての夏みかんかもしれないよ電話がひとつしかない世界
気に入った歌を10首引いてみた。掲出歌を含む我妻の歌を読んで改めて思ったのは、わたしは意味の通る歌のほうが好きだということだ。意味の通らない歌は、歯応えにおいて、わたしのなかでどうしても意味の通る歌を超えてこない。
少し前までは、こういう意味の通らない歌に対してかなりヒステリックな反応をしていたのだが※1、最近はそういうリアクションをすることもなくなってきた。たぶん、わからなければわからないなりに楽しめばいいとゆるく構えられるようになったからだと思う。
とはいえ、我妻の歌は、他の左翼的なスタンスの歌人の歌と比較して受け入れやすかった。使用する語や文体に対して禁欲的なことが大きかったように思う※2。
「童貞に抜かせちゃ駄目よシャンパンの栓がシャンデリアを撃ち落とす」
亜米利加は雨に吸われる双子の冠、減速していく与謝野晶子のストライプ
あたらしい墓のようなそのビールを飲み干して時間は女身の川端康成
※瀬戸夏子「星室庁」
ふわふわを、つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした
ばらばらで好きなものばかりありすぎてああいっそぜんぶのみこんでしまいたい
※笹井宏之『ひとさらい』
「お墓って石のことだと思ってた?穴だよ、穴」洗濯機をのぞきこむ
性欲の話に笑う/肉眼で見えない星の気配のようだ
※平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』
美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している
夕暮れに黒い電車が移動する寂しい限りの力を持って
※堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
反省会で反省点を述べている 朝自分で選んだ服を着て
遠くから見ると四角い建物であなたが待っている そこに行く
※佐クマサトシ『標準時』
愛のWAVE 光のFAKE どうしよう、とりあえず、生きていてもらってもいいですか?
Things Go Better With Coke. 埋没の二重瞼を見せてもらった
※青松輝『4』
クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ
※佐クマサトシ『標準時』
コンタクト・レンズ あなたは複数の星のことを〈星たち〉と呼んだ
※青松輝『4』
我妻の歌には、下ネタも、独特な固有名詞も※3、文字記号も、オノマトペも、ズレた用法の形容詞も、客体化も、英語も、流行りのチャラいナカグロもまったくと言っていいほど登場しない。意味の通らない歌しか我妻にはないが、意味の通らない以外の目立った特徴がない。そして、そのことがかえって我妻の特徴になっている。
推測でしかないが、我妻は、読み手に短歌を楽しんでもらうにあたって、極力不要なノイズはカットしたいタイプなのだと思う。だから、表紙を白でも黒でもない地味なグレーにし、紙の手触りや歌の配置、フォントも標準的なものを選択しているのではないだろうか。竹を割ったような性格、という表現があるが、今回歌集を読んでみて、わたしが我妻に対して抱いた印象はそんな感じだ。
〈補足〉
※1 先日公開された雷獣チャンネルの動画で、かべが青松の『4』に対して、”攻めているという逃げ”をしていると評していたが、自分もまさにそんな感じのことを意味の通らない歌に対しては思っていた。
※2 『カメラは光ることをやめて触った』には、『カメラは光ることをやめて触った』と、同人誌「率」上に掲載された『足の踏み場、象の踏み場』の2つの歌集が収められている。2つは製作時期に隔たりがあり、作風も大きく異なることから、まとめて論じるのが難しく、本記事は前者のみを読みの対象にしている。
※3 例外的に、掲出歌の「新目白通り」のような、場所に関する固有名詞は頻出する。