青松輝一首評 -歌集『4』「4」の歌-

 

数字しかわからなくなった恋人が桜の花を見る たぶん4

 歌集『4』に収録の連作「days and nights」なかの一首。さきほど、Twitter(現X)で「数字 恋人 たぶん4」と検索したところ、「数字 恋人 たぶん4の検索結果はありません」と表示された。この歌について、Twitterにおいて言及している人は現時点ではいないようである(本稿では掲出歌について、「たぶん4」の歌と呼ぶ)

 もう一首掲出する。

数字しかわからなくなった恋人に好きだよと囁いたなら 4

 同じく、連作「days and nights」のうちの一首。多くのひとが見覚えがあるのはこちらだろう。Twitterで「数字 恋人 4」と検索すると、多くのひとがこの歌について言及している。そのなかには、短歌界では比較的知名度のある歌人も多く見かける(こちらは「4」の歌と呼ぶことにする)

 前述の連作においては、「4」の歌のしばらくあとに「たぶん4」の歌が配置されているのだが、ほとんど上の句の同じ歌が2つある意味はなんなのだろう。

 青松は以前、「4」の歌について、「4、3、2、1、死の装置」という自身のブログの記事で、読者をディスコミュニケーションの当事者にさせる意図でつくったと書いている。たしかに、「4」の歌は、言葉の通じなさ・わかりあえなさを「アトラクション装置」的に体験できる短歌として画期的だと思う。

 しかし、そうした、コミュニケーションのできなさをリアリティのある形で体験するだけなら、「4」の歌だけでじゅうぶんに思える。

 こういう線があるかもしれない。まず、青松は最初に「たぶん4」の歌を作って発表した。その後、すこしフレーズを改良して「4」の歌を発表した。結果、後者が注目される歌になった。そういう流れなら、同じような歌が2つあることの辻褄はあうように思う。しかし、実際の時系列は異なる。

 「4」の歌の初出は、2022年5月号の文學界(発売は4月)。一方、「たぶん4」の歌の初出は、同年5月の文学フリマで頒布の「いちばん有名な夜の想像にそなえて」という瀬口真司との合同誌。この合同誌に収録の連作「days and nights」に「4」の歌と「たぶん4」の歌の両方が収録されている。

 つまり、「たぶん4」の歌のほうが発表されたタイミングは後なのだ。だから、もし「4」の歌で、ディスコミュニケーションのアトラクション装置としての役割がじゅうぶんに果たせたなら、「たぶん4」の歌について、合同誌にも歌集にも収める必要はなかったのではないか(文學界の発売は4月初頭、合同誌の頒布は5月末と、両者の間には1ヶ月以上の期間があり、文學界での「4」の歌の反応を見てから、合同誌の締め日までに「たぶん4」の歌を落とす、といったこともできたはずだ)。

 もちろん、とくになんの意味もなく両方の歌を合同誌や歌集に収めた可能性もなくはない。しかし、青松は、とくに歌集制作にあたっては、出来のよくない歌は落としたと自身のイベントで語っており※、「たぶん4」の歌について、なんとなくで歌集に入れたとは考えにくい。※ナナロク社主催「青松輝と短歌とテスト」

 そのため、「たぶん4」の歌にもなにかしらの意味があって歌集に収められていると考えられる。では、それはどのようなものか。

 

 ここで、唐突だが、以下の短歌を読んでみてほしい。

いつか僕の脳が壊れてゆくことを雪どけにたとえてみてもいい?

あれ以外意味がないっておもいました。白昼夢みたいだと感じました。

二十一個の一等星のそれぞれの遠さが違っていて鬱、にな、る

 出来不出来についてはいろいろ議論があるだろうが、出来不出来について議論してもらうことがこれらの歌を掲出した目的ではない。

 上記は青松の短歌をアレンジして私がつくった短歌で、オリジナルとなる青松の短歌は以下である。

いつか僕の脳が壊れてゆくことをスキー場に喩えてみてもいい?

Are Igai Imi Ga Naiって思いました. Hakuchumu Mitaiだと感じました.

二十一個の一等星のそれぞれの遠さが違っていること ド鬱

 直前に掲出した歌の良し悪しについては、本記事の主題ではないため触れないが、私がつくった歌と比べると、なんとなく読みづらく、すっきりとした読後感にならなかったのではないだろうか。もっとも、その”すっきり読めなさ”、"気持ちよく読めなさ”はおそらく青松が意図してつくっているものである※。

※青松がなぜそうした歌を作るのか、なにが狙いなのかについては、青松が寄稿しているさまざまな媒体の記事で伺い知ることができる(たぶん本人としてはかなりはっきり明示している)。本記事の最後に私が読んだ記事のリンクを掲載しておく。

 歌集『4』には、直前に掲出したような不思議な読後感のある歌が多くを占める。また、もし仮に気持ちよく読める歌があったとしても、その気持ちよさは青松が”計算して”作ったものである可能性が高い。たとえば、『4』に収録されている中で、読者が気持ちいい読後感になれる歌には下記があるだろう(じっさいはエモい単語に反射的に反応しているだけなのだが

僕たちの甘い会話のどこででもカワセミは羽をひらく詩的に

カッターでさくっと切ってみるといい(あるいは冷えた梨の抒情で)

鳥は詩のなかで水彩の血を吐くのぞむならアクリルの唾をも

 8月24日(木)、新宿紀伊国屋で開催された歌集『4』の刊行記念トークイベントで、青松は、光や梨、カワセミなど、詩的に読ませる言葉が嫌い、という趣旨のことを語っていた。カワセミにも、梨にも、鳥が水彩の血を吐くというイメージにも、私を含めた読者は反射的に美しさを感じてしまうが、歌の作者である青松はそうしたモチーフは好んではいないと言う。

 つまり、直前に掲出したような、気持ちよく読むことができる歌は、読者の”気持ちよくなるボタン”を押しつつ、短歌界を皮肉ることを目的として、青松自身は好んでいないフレーズを織り交ぜてつくった歌である可能性が高い。

 ここまでを踏まえて私が言いたいのは、青松のつくる歌は、ざっくり以下の2つに分類できるのではないか、ということである。

 ①すっきり読むことができない歌

 ②すっきり読むことができる歌(皮肉の意図でつくられていて、ときには青松が好まない言葉も用いられる)

 ①には、「いつか僕の〜」や「Are Igai〜」の歌、②は「僕たちの〜」や「カッターで〜」の歌があてはまる(もっとも、上記はかなり雑な把握の仕方であり、歌集のなかには、①にも②にも分類しづらい歌もあるとは思う)。

 ここで、ようやく最初の問いにもどる。「たぶん4」の歌にはどのような意味があるのか、という問いである。

 私の読みだが、現時点でだれも注目していない「たぶん4」の歌が上記でいう①、著名な歌人からも注目をされている「4」の歌が、じつは②にあたるのではないだろうか。

 つまり、「たぶん4」の歌では、読者のレベルの問題で、自分の伝えたいこと(ディスコミュニケーションの当事者になる体験の面白さ)がじゅうぶんに伝えられないから、あえて読者のレベルに合わせ、青松が好まないフレーズ(”好きだよ”と”囁く”)を織り交ぜてつくったのが、「4」の歌なのではないか。「たぶん4」の歌は、そのことを読者に暗に匂わせるために収められている、「4」の歌のオリジナルなのではないか。それが、「4」の歌、そして、「たぶん4」の歌についての私の読みである(だから、もし青松がそういう意図でつくっていたのだとしたら、「4」の歌を手放しに褒めている人は青松がかけた罠にまんまと引っかかっている、ということになる)

 青松は、「別のところでみる夢-丸田洋渡試論」というブログや第三滑走路のTwitterアカウントにおいて、短歌の新人賞を担当している審査員の読みのレベルの低さについて厳しく批判しており、この見方にも、一定の信憑性はあるように思われる。

 もちろん、上記とは全然違う意味や意図が青松の歌に込められている可能性もじゅうぶんにあるし、そもそも読みに正解などない。また、向き合うべきは書かれているテキストであって、作者の意図などは考えるべきではないという考え方もある。しかし、この記事が、ほんのすこしでも「たぶん4」の歌、歌集『4』の楽しみ方を広げることに貢献できていたらうれしいと思う。

 

おまけ

 歌人「青松輝」とYouTuber「ベテランち」は別名義のため、両者を混同するようなことを短歌の記事で書くのは不適切かもしれないが、どちらも青松輝という同じ人間が動かしている人格なので、敢えて書く。

 9月3日、雷獣チャンネルで「永遠が活動を休止します」という動画がアップロードされた。これは、30分くらいの動画の最後に、じつはメンバーの永遠の活動休止期間が「1日」であることが明かされるという内容で、9月6日には「永遠が活動を再開します」という動画がアップロードされた。前者の動画には、活動休止を長期と思いこんだだろうファンからの「悲しい」コメントが多く寄せられていて、熱心なファンのようでじつは動画を最後まで見ていない層があぶり出されるという構造になっている。

 私が注目したのは概要欄で、これら2つの動画はどちらも「企画:ベテランち」なのだ。”ちゃんと聞いているようで聞いていない”層をあぶり出すという、聞き手をふるいにかけるような実験は、青松輝の別名義での活動でも行われているのだということを、最後に、だめ押し的に書いておく。

 

直接取り上げたWEBサイト:

別のところでみる夢-丸田洋渡試論 - アオマツブログ

4、3、2、1、死の装置 - アオマツブログ

 

その他参考にしたWEBサイト:

もうパターン化された“エモ”気持ち悪すぎるんだよ、純喫茶でクリームソーダ、フィルムカメラで街を撮る、薄暗い夜明け、自堕落な生活、アルコール、古着屋、名画座、ミニシアター、硬いプリン、もう全部飽きた 面白|Aomatsu

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